移住立国あやべ

エリアArea

【ふるさと探訪】応挙の妻 山家地区の橋上町出身

「足のない幽霊画」の元祖?

画聖と称され日本で最も有名な画家の一人である円山応挙だが、その妻が綾部市の山家地区、橋上町出身であることは余り知られていない。また、一般に幽霊といえば足のないもの…という先入観があるが、実は足のない幽霊を肉筆画として初めて描き、広めたのは応挙だという説が有力だ。しかもそのモデルは妻だという。つまり、足のない幽霊画のルーツは綾部にあるという見方もできそうだ。

「山家誌史」(昭和62年、山家公民館発行)には、

(応挙が)画業を志した頃、妻帯して独立した。妻女は名不詳である(中略)この女性が橋上の木下家出であるのは間違いなく(中略)なお応挙の次男、応受は橋上へ戻って母方の木下家を継いだが早世した

とある。

 

応挙とはいかなる人物か

応挙は江戸時代中期の絵師で「円山派」の祖。
享保18(1733)年、亀岡市曽我部町穴太の農家の二男として生まれ、幼少期(8~15歳ごろ)に実家の近くにある臨済宗金剛寺で小僧生活を送った。

当時の住職から絵の才能を見込まれ、十代の後半には京都へ出て狩野探幽の流れを引く石田幽汀の門に入る。

円山応挙肖像『近世名家肖像』より

西洋画の遠近法を応用した「眼鏡絵」「三十三間堂図」の制作などに携わり、写生を重視した作品「花鳥写生図巻」や国宝の「雪松図屏風」などは特に有名で、日本の写生画の基を築いたと評されている。寛政7(1795)年没。享年63歳。

 

なぜ幽霊には足がない?

応挙が描いた幽霊画には「幽霊図(お雪の幻)」という題がついているものがある。モデルが妻だとすれば「お雪」が妻の名前である可能性がありそうだ。ちなみに金剛寺に残る応挙一族の位牌に妻は「明與圓室妙鏡大姉」と刻まれている。

幽霊図「お雪の幻」

一説によると、病弱だった妻の影姿を障子越しに見た応挙が足のない幽霊を思い立ったという。また別の説では、妻が亡くなったあとに幽霊画の依頼を受け、思い悩んでいる時に妻の霊に出会ったが、その妻に足がなかったから忠実に再現した―というのもある。いずれにせよ、写生が本領の応挙が妻への愛情を込めて「美人画」を描いたともいえる作品になっている。

 

Vol.6に続きます。