移住立国あやべ

綾部からの声Voice

【志賀郷に移住した経緯】
飯田朝陽さん

1年半に及ぶタイと日本を往復する放浪の生活から、綾部市へ定住する決断をした飯田さん。移住された経緯や今の想い、今後についてを伺いました。

 

--経歴を教えてください。

生まれは神奈川県。農業高校を卒業後、宮崎県の大学に進学しました。そこで園芸学部を専攻し「自然を生活に取り入れる術(すべ)」として造園の基礎を学びました。卒業後は京都市内で造園会社に4年程勤務し、27歳で庭師として独立しました。

 

庭師の仕事着で。始めたばかりという畑と母屋を背に。(綾部市西方町の自宅で)

幼い頃から自然への憧れが強く「百姓になりたい」という夢を持っていました。「《自然を生活の中に取り入れる》ことが心の豊かさに繋がるのではないか」と考え庭師になりました。

 

--転機となったのはいつですか

独立して2年くらい経った時です。大学在学時にインドやカンボジアなどを旅した折に見た、物乞いをする子ども達がふと頭に浮かんで「自分でも何か人のためになることは出来ないか」と行動を始めました。その後、知人の紹介もあり、タイの山岳民族の支援活動に参加することになりました。現地での活動はやりがいもありましたが「貧困を支援する側の思い込みが、〈貧しさの意識〉を生み出ているのかもしれない」という思いが強くなり、「まずは自分の足元にある生活から、思い込みの意識を変えていく実践をしよう」という気持ちが芽生えていきました。

山岳民族への農業研修施設でもあるチェンライのコーヒー農園を望む。背中にかけた竹の籠に収穫したコーヒー豆を入れる。

自分がその場に立ってみると《貧困》だと思い込んでいたのはこちら側で、当人たちにとってはそれが普通の生活だった。逆に《快適》なんじゃないかと思うくらい。

 

--いまはどんな生活をしていますか。

日本とタイを行き来する生活を1年半続けた後、3月に現在の家へ移り住みました。タイで活動をともにした知人から、綾部のことを紹介されたことが不思議な縁を結び、定住を決意しました。今はまだ新しい環境に慣れないこともありますが「何事もまずは自分でやってみれば、そこから見えてくるものがある」と、家の改修から畑の開墾、タイで学んだソーラーパネルを使った自家発電など、思い描く暮らしを目指して小さくても出来ることから始めています。

ソーラーパネルを設置して電気を自家発電していく。オフグリッドな暮らしを目指して実験中。

仕事も大事ですが、まずは生活を充実させていきたい。それもタイで学んだことです。「生活を楽しむ」ということをどんどん発信していきたいです。

※オフグリッド・・・電力会社などに頼らずとも電力を自給自足していくことを指します

--今後の展望をお聞かせください。

ここでの暮らしでは、近所の方々に助けてもらうことが多く、人の優しさを身に染みて感じます。田植えの手伝いや村の行事にも参加しています。村の人たちとは、これからも互いに助け合える関係でいたいです。庭師としての仕事もこの地で再スタートします。これからは、タイで学んだことを自分の暮らしに活かし、自給自足の暮らしを試みていく予定です。タイで感じた「思い込みの意識」を変えていくために、いまここにある生活を通して綾部から発信していきたいです。

 

母屋からの眺め。美しい里山の景色が気に入っている。手前の木製ベンチは飯田さんの手作り。

 

飯田朝陽さんが発信するブログ「アサメシヤ-庭師の目線で見る世界-」はこちらより
タイのチェンマイで発行されているフリーペーパーに飯田さんの体験記が特集されています。詳しくはこちらより