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【ふるさと探訪】上杉姓 綾部の上杉町が本貫地

NHK大河ドラマ「真田丸」に上杉景勝が登場

2016年に放映されたNHK大河ドラマ「真田丸」。
主人公・真田信繁は越後国(新潟県)の上杉景勝の人質となった時期があり、ドラマでも描かれた。

ところでこの上杉という姓の本貫地(氏族の発祥地)は丹波国何鹿郡いかるがぐん上杉庄(現在の綾部市上杉町)である。上杉町には「上杉姓氏発祥之地」と大書された碑も平成19年春に鳥居野運動広場近くの府道わきに建立されている。

平成19年に「上杉家ゆかりの会」の有志が資金を出し合い建立された「上杉姓氏発祥之地」の碑。

上杉というと戦国大名である謙信のイメージが強いが、元々は藤原北家勧修寺流の流れをくむ公家(中級貴族)から発生している。

鎌倉時代後期、鎌倉幕府の6代将軍となる後嵯峨天皇の第2皇子・宗尊親王に従って鎌倉へ下向した藤原重房は、その功によって上杉庄を賜り、それ以降、上杉姓を名乗るようになった。

南北朝時代、重房の孫である憲房は、妹の清子が足利尊氏の母であった縁もあり尊氏を助けて功績を残した。尊氏が幕府を開いて室町時代になると、憲房の子の憲顕が初代関東管領となって上野国や越後国、伊豆国の守護も兼ねるなど、広大な地域に威勢を張った。

 

弾正屋敷跡や石碑も

一方、重房のひ孫に当たる上杉弾正少弼朝定は、本貫地の上杉に館を構えた。清子が叔母であることもあって尊氏・直義兄弟に仕え、幕府の要職を務めた。今の上杉天満宮の場所が「弾正屋敷跡」と伝わっている。

本貫地の上杉には上杉弾正少弼朝定が館を構えたと伝わる。「弾正屋敷跡」は写真奥の上杉天満宮境内とされている。

憲顕を祖とする嫡流の山内上杉家のほか、扇谷(祖は朝定の養子の顕定)、犬懸、詫間の4家に分かれた上杉家はその後、内部対立などによって徐々に衰退。戦国時代になると、新興の北条氏に圧倒されるようになった。

最後の関東管領である憲政は、元の家臣筋でもあった有力武将・長尾景虎を頼って越後に逃れ、上杉の名跡を譲る。そして景虎は上杉姓を名乗るようになった。上杉謙信の誕生である。これ以降は長尾氏が「上杉嫡流」を称するようになった。

謙信の養子で、謙信死後の家督争いで勝利して当主になったのが、大河ドラマで遠藤憲一が演じている上杉景勝。嫡流の上杉家はこのあと、紆余曲折を経ながらも明治維新まで米沢藩主として君臨し、明治後は華族に列して伯爵を授けられている。

 

Vol.12に続きます。