【ふるさと探訪】市内最古級の神社 河牟奈備神社(十倉名畑町)
金石文は市内最古 1300年前からのパワースポット
綾部市内最古の金石文(金属や石などに記された文字資料)が境内社にある河牟奈備(かむなび)神社は、709(和銅2)年の創建から1300年を超える市内でも最古の歴史を誇る神社の一つ。
「延喜式神名帳」に記された「式内社」(国の公的な神社)であることから、少なくとも延喜式の完成した927(延長5)年には既に格式高い神社だったようだ。
古い神社には神殿としての特別な施設がなく、山や森、巨岩などをそのまま御神体としてまつられていることが多い。「綾部市史(上巻)」では
河牟奈備神社は裏山が御神体であったと思われる。
背後の山を『かなみ山』と呼んでいるのは神奈備山からきたものであろう。
と記している。
神が宿る「かなみ山」
平安時代には「神が宿る山」として既に有名だったようで、「何鹿郡誌」の同神社の項には、1036(長元9)年の後朱雀天皇の大嘗会主基方神遊の歌に丹波国神奈備を
常盤なる神なび山の榊葉を さしてぞ祈る萬世の爲(千載集)
と詠まれていることが書かれている。
祭神は天下春神で、開墾の神としてまつられることが多い。この神の父神は八意思兼神で、神話「天の岩戸」で天照大御神を岩戸の外に出すための知恵を八百万の神々に授けたことで知られている。
本殿右手にある境内社「阿上社」は自然石の石碑を御神体としており、次のように彫られている。
阿上社
(梵字)妙法蓮華経安置所
永久二年八月十四日僧院暹記之
永久2年は平安時代末期で西暦1114年。市内では最古の金石文で、神仏習合だった当時の様子が見てとれる。1975(昭和50)年に市指定文化財に指定された。
書物や宝物は消失
戦国時代末期の元亀・天正年間のころに 兵火によって書物や宝物などはすべて焼失したという。昔から「大宮一休大明神」、または単に「大宮」とも呼ばれており、現在の本殿は1753(宝暦3)年の建立。本殿は2018年11月に府教育委員会から府暫定登録文化財として新たに登録された。
2009(平成21)年、創建1300年の時には鳥居の新設や社務所の一部改装のほか、境内に記念石碑も建立。10月の秋祭りに併せて約100人が参列する盛大な記念式典が執り行われている。
1千年を超える長い間、人々の崇敬を集めてきており、裏山が御神体であったと見られることも相まって、今でいう「パワースポット」であることは間違いなさそうだ。
Vol.7に続きます。