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【ふるさと探訪】「綾部第一の名水」田町の清水

九鬼くき公が発見、茶席で必ず用いる

神から授けられた霊泉と伝わる泉が、現在のせんだん苑南こども園の北側にある。「田町の清水しゅうず」がそれだ。
「綾部第一の名水」との誉れも高く、清らかで豊かなその水は古くから人々の生命を養ってきた。

綾部市と地元の保存会が昭和31年に上屋を建てた。

 

「丹波の話」(礒貝勇著、昭和31年発行)には、綾部高校の前身の一つである綾部工業高校の初代校長で、柳田国男の門下生として日本の民俗学の担い手としても活躍した礒貝氏が聞いた古老の口伝が記されている。いくつか紹介しよう。

藩祖九鬼隆季公が移封された時、この清水が名水であることを発見して永く保存するよう命じた。歴代藩主もこの水を愛用し、茶席には必ず用いられ、清水井の修理には藩から費用が差遣わされた。

田町の素封家・大槻藤左衛門の酒醸用の水として使われた。大槻家の酒は灘筋にも名の通ったもので、数十石の銘酒『松の花』が醸造されていた。

各家が井戸を持つようになっても、本町や西町、広小路の古老は二十数年前(注・昭和初期)までは遠近問わず夏冬の別なく、この清水の水を汲みに来た。この水で煮炊きしたものは長く腐らず、病人が飲めば病傷はいえ、長寿息災の素因を作る名水であると言われていた。

かつて若宮神社は、九鬼家が上野の高台に陣屋を設けた時に守護神として現在地に造営するまではこの清水の近くにあり、祭礼の際にはこの霊水を神前に供えたという伝承も残っている。清水の辺りには馬場もあったようだ。

 

昭和31年に修理、今は飲用ひかえて

また、綾部町史(昭和33年発行)は、「由来は分からないが昔から田町には元伊勢信仰があって、毎年4月23日、代表者がこの泉の水を持って元伊勢に参拝し、その日は町民全員が弁当などを作って八幡平まで出迎える風習があった」と記している。
昭和31年に綾部市と地元の保存会が石積みを修理して、上屋を建てた。今も名水「田町の清水」は静かに水をたたえている。ただ、現在では飲み水として使うことはお勧めできない。