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【ふるさと探訪】旧市民センター 郷愁漂う公共施設

海軍航空厰を移築し再築造 新市民センター完成後、取り壊し

こんなにも市民の思い出が詰まっていた公共施設は珍しいだろう。

並松町にあった旧市民センター正面玄関付近。

 

旧市民センター。名前を聞いただけで、鼻腔を刺激するあのひんやりとした廊下の匂いまで再現できるようだ。綾部市は西町3丁目に新しい市民センターを建設。かつて並松町にあった建物は新市民センター完成後に取り壊され、昭和の綾部を代表する建物がまた一つ姿を消した。

平成19年に宮代町の日東精工体育館に移るまで、市民センターは選挙の開票所としても長く使われた。写真は平成6年の市議選で開票状況速報に見入る市民ら。

 

綾部市史(下巻)や並松史(並松町自治会発行)によると、市民センターの第1期工事が完了したのは昭和36年1月。資材難の時代で、宮津市栗田にあった海軍航空廠の建物の払い下げを受けられることになり、移築された。第1期工事では鉄骨を解体して運び、建物を築造することが主で、工事全体の7割を占めるとはいえ、外郭が完成しただけでまだ利用できなかった。

建設途中の市民センター(市史下巻より)

 

同37年12月になってようやく、集会場や図書室、中央ホール、ロビー、体育室などの第2期工事に着工。工事完了を待って翌年7月5日に開館した。

続いて地下室整備や中央ホールの暖房設備などの第3期工事が昭和43年から始まり、ほぼ現在の形となった。

市民センターが建っている土地は、もともと熊野新宮神社の境内地。現在の同神社の場所には、市中央公民館の機能を持った「波多野記念館」(大正9年建設)があった。

ところが老朽化していたこともあって公民館機能を併せ持つ市民センターの建設計画が持ち上がった。そこで移転の候補地となったのが隣接地にあった同神社。市議会では土地を等価交換することを議決。同神社総代会でも交換が承認されて昭和34年から移転工事が始まっている(現在地に遷座されたのは同42年)。

以来、京都府中丹文化会館(里町)やI・Tビル(西町1丁目)などが出来るまで、また出来てからも、市民に愛される公共施設として、スポーツや集会、各種イベント会場として実に様々な〝ドラマ〟が生まれてきた。「ノスタルジーの塊」のようなこんな特異な建物は、ほかに類を見ない。

Vol.10に続きます。