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【ふるさと探訪】綾部藩主に嫁いだ「邦姫」の駕籠

嫁入りの駕籠かご 色あせず

彼女はいったいどんな人生を歩み、そして終えたのだろうか。今はただ、彼女が嫁入りした際に乗ってきた駕籠だけが150年の時を越えてなお、色あせることなく静かに保管されている。この駕籠は、彼女のどんな数奇な人生を見てきたのだろう。

彼女の名は邦(邦子)。父は伊勢桑名藩10万石の初代藩主・松平定永。祖父は御三卿の田安徳川家に生まれ一時は将軍世子とまで言われた老中首座・松平定信だ。母が側室とはいえ、幼いころの邦姫はきっと何不自由ない生活をしていたに違いない。

やがて邦姫は同じ伊勢国の亀山藩9代藩主・石川総禄に正室として嫁ぐ。ところが総禄は文久2(1862)年、参勤交代で江戸に到着した直後に病に倒れ、34歳の若さで死去。その後、邦姫は丹波綾部藩9代藩主・九鬼隆都の3番目の正室(再々室)=室と再室の2人はその時点で死去=として嫁ぐことになる。その時に乗ってきたのがこの駕籠だ。

邦姫が嫁入りの際に乗ってきたという駕籠。

正暦寺(寺町)に保管

九鬼家から寄進を受け、駕籠を大切に保管しているのは寺町の正暦寺(玉川弘信住職)。同寺によると、寄進の経緯などは明らかでなく時期も不明という。一方で、九鬼家当主が宮司を務める熊野本宮大社(和歌山県田辺市)で社地移転100年を記念した平成5年の祭典の際にはこの駕籠を同大社まで運び展示。参拝者にも好評だったようだ。

内部側面は縁起の良い図柄が配されている。

 

駕籠には九鬼家の定紋・七曜が至る所に散りばめられている。また、内部側面には松や鶴、梅など縁起の良い図柄が配され、天井には可憐な草花が描かれるなど女性用ならではの配慮がうかがえる。当時は嫁に出したら二度とは会えない可能性もあるような時代。実家からの精いっぱいの心遣いだったのではないか。

九鬼家の系図などをまとめた「履歴集」に邦姫は「松平越中守定永女」と表記され、その下に「離縁」の文字が見える。幕末から維新の動乱の時代にどういう経緯があったのかは分からないが、のちに離婚したようだ。

天井には女性用らしい可憐な草花の絵も。

 

東京都台東区谷中の瑞輪寺に邦姫のものと思われる墓がある。戒名は本因院殿妙国日果大姉。没年は大正2年。父・定永の没年と75年の開きがあるため、おそらく相当長生きし、天寿を全うしたのではないだろうか。