【志賀郷に移住した経緯】水田裕之さん・さかえさん
■以前住んでいた場所:
裕之さん 京丹後市久美浜町(京都市出身)
さかえさん 福知山市、舞鶴市(西宮市出身)■現在の住所:
綾部市志賀郷町(志賀郷地区)■綾部市への定住:
2002(平成14)年、結婚を機に老富町(上林地区)で暮らし始める
2009(平成21)年、志賀郷町の家を購入し、老富町から転居
やりたいことを求めているうちに北近畿へ
裕之さんは岩手大学農学部を卒業後の数年間、農業に関わることができるということで遠野市や奥州市の農業高校で教えていました。生徒との出会いは楽しいものでしたが、時間もなく農業そのものとはかけ離れた教員生活を送るうちに「農業をやりたい」という思いを募らせていきました。
模索する日々の中、滋賀県や出身地である京都府内で就農場所を探していたところ、20代後半の頃に京丹後の久美浜で和牛の飼育と農業に携わる機会を得ることができました。
久美浜で念願だった農のある暮らしが始まりました。そのうちに、京都府内で教育実習をした時に知り合っていた農業系雑誌の編集長の誘いがきっかけで、「北近畿百姓出会いの会」という集まりに参加することに。この会を通じて農業に関わる人たちと知り合い、同世代の人たちと意気投合して交流会を催すようになりました。
仲間の一人だった金田克彦さんが名付けた「若いもん百姓出会いの会」は、農閑期の冬に南丹市日吉町や兵庫県篠山市など農業が盛んな土地を会場にして毎年開催され、仲間の輪が広がっていきました。裕之さんは綾部にも度々訪れるようになり、さかえさんと出会いました。
さかえさんは兵庫県西宮市で生まれ育ちました。両親が福知山市の出身で、祖母が暮らし続けていた福知山は子どもの頃から身近に感じていました。自身も福知山に移り住み、仕事を持ちながら機織りに勤しんでいました。山の斜面が間近に迫る場所で一人暮らしをしていたほど山奥が好きで、時には鹿と遭遇することもあったとか。台所と寝起きするところが離れていて少し不便は感じたものの、さかえさんにとっては住めば都だったそうです。
生活する上で不便さは気になりません。もともと山が好きで山登りの会に入ってよく登っていました。山の暗さやテントを張って寝泊りするなどのキャンプ生活にも慣れていたのでどこでも寝られるし、どこでも暮らせます。
とさかえさんは話します。
結婚を機に始まった綾部での暮らし
そんな二人は2001年に結婚しました。林業への関心からさかえさんが舞鶴市内の森林組合に勤めていたことから一年間は別々に暮らしていましたが、知人から紹介された老富町の空き家の離れを借りることになり夫婦で移り住みました。水回りの設備がなく、台所と風呂がある母屋と離れを行ったり来たりする生活でしたが、集落一帯が生活に必要な水を井戸や山水でまかなっているほど水が綺麗なことが気に入っていたそうです。
離れは「水道もない小屋のようなところ」(さかえさん談)ではあったけれども、2階もあったので住めるようにしていくつもりでいましたが、この頃から、京都市内で開催されている「百万遍の手作り市」に出店したり、WWOOF(ウーフ)※1を始めたりしたことでだんだんと手狭になっていったそうです。
農業をやっているとあちこち旅行をするわけにもいかないので、WWOOFを知った時は自分で行かない代わりに人に来てもらうことに魅力を感じてぜひやりたいと思いました。ウーファーが来ると楽しいです。若い世代の人が多いですが、みんな個性があって、自分とは違う人生を歩んで来ているのですごくいい経験になります。
と裕之さんはWWOOFを始めた理由を話します。
老富から志賀郷へ転居、定住
長女・宇咲ちゃんが誕生する少し前に志賀郷の空き家を紹介され、市外で暮らす大家さんとの間で話が進み購入することになりました。すでに志賀郷地区で家庭を持っていた大工である金田さんに手伝ってもらいながら、こつこつと自らの手で補修を重ねて2009年8月から住んでいます。当初は志賀郷が都会に思えたぐらい老富町との環境の違いを感じたそうです。
老富町で暮らしている頃からWWOOFの取り組みをスタートさせ、出店したイベントで出会って親しくなった人たちに綾部に来てみたらと誘いの声を掛けていたので、結婚当初から水田家には様々な年齢、国籍の人たちが出入りしています。そのうち周りから「民宿をやったら」と声を掛けられるようになり、農家民宿を始めるのもごく自然な成り行きでした。生まれたときからそのような環境で育った宇咲ちゃんは人見知りすることもなく、家にいろんな人が訪ねて来るのを楽しみにしているそうです。
現在は夫婦それぞれが非常勤の仕事を持ちながら、自給自足としての農業、WWOOF、「水田家の食卓」という屋号で農家民宿、農産物・加工品の販売やイベント出店を行い、志賀郷地区に暮らす人たちが中心となって運営している「田んぼプロジェクト」※2にも関わっています。
今のところ、コロナ禍もあって農家民宿を利用する人は多くありませんが、ウーファーの訪問も少ない農閑期の冬のシーズンを利用して家族の居住スペースやゲストが使用する部屋、共有部分などの補修や整理をしようと計画中です。
誰もが自分の食べるものを作れるように
裕之さんにこれからやりたいと思っていることについて聞いてみました。
今の農ある暮らしを維持することです。もっと上手に米を作れるようになりたいとも思っています。元気に体を動かすことができて土地があるという環境にいるのなら農業を営むことは自然なことで、何千年と米を食べて生きてきた日本人としてもやらなければいけないことではないかと感じています。
非常勤の仕事では農業に関われているので良い仕事だと思っていますが、自分でお金を生み出しているわけではなく、自分の力でやっていることではないという気がしています。
世の中は将来の不安のために働いている人が多いのではないかと思いますが、食べるものを自分で作るということが安心して生きることができる理由の一つにならないでしょうか。大人も子どもも「自分が食べるものを作れるようになる」という生きる基本を身につけることが当たり前になってほしいと願っています。
※1 WWOOF
主に有機農業を行う農家や農場がホストとなって食事や宿泊場所を提供し、その代わりに個人やグループ(ウーファー)が知識や経験、労働力を提供することで助け合う制度。金銭を介さない。イギリス発祥の取り組みで世界各国、日本全国に導入されている。
※2 田んぼプロジェクト
「『小さな谷の小さな暮らし』生きる力を育むプログラムin綾部」のこと。米作りなどを通して自然と共存する生き方を体験する。年間を通して季節に応じた体験プログラムが組まれている。